蛸壺屋『俺と妹の200日戦争』

 原作より好き。ネタばれあります。


 『俺と妹の200日戦争』は、確かに悪意に満ちた作品だと思う。というか蛸壺屋作品はだいたい全部そう。オタクエクスプロイテーション作品である深夜萌えアニメが、それ故に持ち合わせるご都合主義、甘さを、作者のTK氏は許さない。「ヌルい!」と言わんばかりに、露悪的にカリカチュアライズした現実の闇をボンボンぶち込んで、萌えアニメという一種のファンタジーにぶつけていく。今回なら「積木崩し」と当時話題沸騰していた「11代目市川海老蔵暴行事件」がそれにあたる。あとは家庭崩壊からのガチンコ近親相姦も。 

 続いて作者は、キャラクターの「個性」のネガティブ部分を拡大し、現実的に再解釈する。これにより、現実に近づけた世界観に見合う生々しさがキャラクター1人1人に付与される。このキャラクター改変が毎度毎度実に上手くて、「現実的に考えたら確かにこんな感じになるよなぁ」と納得してしまう。本作の親父さんの描写なんかは、とても腑に落ちましたねぇ。ああいう人実際にいるよ。

 作劇手法を端的にいえば、原作のヌルい部分を最もきつく露悪的な形で語りなおしていく、ということにつきる。しかしですね、それだけで終わっていないのが本作最大の魅力だし、語り所なのだと思うわけです。

 原作である『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の物語の核心は、「理解不能だった妹が、実はひたむきに生きる魅力的存在だった」という事に主人公が気付き、妹への想いが変化していく、という部分だと思う。そして、それを見た視聴者が、タイトルの真意を覚る。「俺妹」とは、そんな物語だったと思うのだ。
 
 そして本作は、上記の事柄を完璧にふまえている。「俺妹」のかような本質を、別の形で再現してみせる。
 
 ラスト、カリスマJC読モからAV女優にまで落ちぶれてしまったキリノがずっと「メルル」を好きでいつづけていた事を、それを支えに生きてきたであろう事を、主人公が知る。そして思わず画面の中の彼女を鼓舞してしまう。「ガンバレ」「ガンバレ」と。彼女のひたむきさを知った主人公は、届くはずもないのに、そうせずにはいられなかったのだ。
 そして、AVのインタビューに答えるという形で、キリノが告白する。最高の笑顔をうかべながら。
 ――理想のタイプは?「お兄ちゃんですね!」
 ――いまでもお兄さんのこと好きですか?「大好きです」「許してくれたらまた会いたいですね」
 主人公の想いはあまりにも無力だし、キリノはこんな形でしか気持ちを伝えることが出来なかった。しかし、二人の互いへの想いは美しく尊い。こんなにも切なく感動的な場面は、そうはない。そして最後のコマの台詞。ズルい。こんなん泣きますって。
 
 本作は、ただ悪意的なだけで終わらずに、原作の物語をより純化した形で語り直してみせた、真摯な同人誌だと思う。